名古屋市、愛知県で葬儀司会なら國松香代まで。寺葬、社葬、家族葬から無宗教葬まで

名古屋市、愛知県で葬儀司会なら國松香代まで。温かいトーンの声で優しい心のおもてなし

プロフィール
プロフィール
平成2年
アメリカへ1年間交換留学
平成5年
英会話講師を始める
平成7年
選挙などマイクを使う仕事を始める
平成7年
アナウンススクールに通う
平成7年
第18回ユニバーシアード大会1995福岡 選手団付き通訳
平成9年
金城学院大学 文学部 英文学科卒業(専攻:言語学)
平成9年
名古屋空港 国際線 全日本空輸グランドスタッフ
平成15年
大手葬儀社入社 専属司会となる
(第一期メンバー立ち上げ)
平成20年
葬祭ディレクター1級 資格取得
厚生労働省認定取得番号08-1-0481
平成21年
グリーフケアアドバイザー2級 資格取得
日本グリーフケア協会認定番号09-0101175
平成23年
葬儀司会、葬儀コンシェルジェの個人事務所設立
平成23年
株式会社ソルナ設立 代表取締役となる
はじめてのお葬式

私が5歳の時、曾祖母が亡くなり、母の手作りの黒いワンピースを着て、お葬式に参列したことを憶えています。当時は自宅での葬儀でした。外で霊柩車を見送ったことを覚えています。

今はセレモニーホールが主体となり、小さなお子様も葬儀に参列しやすい環境が整いつつあります。幼いお子様ほど、お葬式は忘れられぬ体験として残るのではないかと思います。

お子様にとって、その思い出がいつしか懐かしい言葉として出てくるような、温かいお葬式のお手伝いができればと思っています。

孫のために頑張った祖父

私が留学のためにアメリカに発つ日、玄関先で見送ってくれた(父方の)祖父。心臓に病気を抱え、当時は入退院の繰り返しの生活でした。祖父の最後に立ち会うことはできないかも知れないという覚悟の上での渡米でした。

そんな祖父が、空港に向かうために車に乗ろうとする私に「自分も頑張るから、香代も頑張ってきなさい」と力強く手を握ってくれました。

『香代が帰ってくるまでは頑張って生きているから、香代も頑張ってきなさい』という意味だとすぐに分かりました。

身体は弱っていく一方でしたが、私の帰国直前には「孫が帰ってくるから」と言って、お医者様や看護士さんが驚くほどの快復ぶりを示したそうです。
平成3年、暑かった夏が終わりを告げ、秋を迎えたある日、祖父は永遠の眠りにつきました。

自宅で療養しておりましたが、容体が悪化して病院に救急搬送されて数日後のことでした。直前まで意識もはっきりしておりましたが、徐々に呼吸ができなくなり、人が死ぬということを初めて目の当たりにした瞬間でした。

病気療養をしていたと言いながらも、体調がいい時には仕事をし、亡くなる直前まで各種団体の役員を兼任していました。定年後は夫婦で旅行を楽しみ、仕事では役員や相談役として多くの人から人望を集め、人生の一番いい時期に旅立つことができた祖父は、長生きではなかったけれども、とても幸せな人生だったように思いました。

亡くなってから丸3日間、担当者の方がつきっきりでお世話して下さいました。
その時の担当者の存在がとても大きく、私が葬儀の仕事に携わることになったのも、真摯に取り組んで下さったその担当者の方の存在があります。

もし最期の時を一緒に過ごせたら

祖父が亡くなってから、(父方の)祖母は19年間、一生懸命に生きてきました。 リウマチを患い、日常生活も「痛い痛い」の繰り返しでしたが、80代後半頃から入退院を繰り返すようになり、老人保健施設での生活になりました。
母が毎日、施設へ足を運び、ここで「介護」ということを知りました。

別れの日は突然にやってきました。母がいつものように施設に行き、いつものように「また来ますね」と言い、別れたのは昼間のことでした。「もう少し暖かくなったら、おばあちゃんの好きな鰻を食べに連れて行ってあげうようね」と母が話していたことを憶えています。

8時まで談話室でテレビを見ていたそうです。就寝時刻になったので、いつもと同じようにベッドに入り、施設の人にお休みなさいと言って寝たそうです。

少し発汗があり、気にかけるようにとの伝言がありました。8時半頃、もう一度見回りに行くと、既に息をしていない状態でした。救急搬送で救命病院に運ばれました。電話があったのは、救急搬送されている時でした。電話の向こうで救急車のサイレンが聞こえていました...。

家族に見守られながら息を引き取る、そんな理想とはかけ離れた別れでしたが、文字通り、眠るようにその生涯を終えることができた祖母は、幸せだったのかも知れません。

最期の時を一緒に過ごせたとしたら、祖母は私たちにどんな声を掛けてくれただろう。私たちは祖母に何と言っただろう、と考え続けました。 それは後に、私が葬儀のナレーションで使う言葉の一つ一つに影響を与えることになりました。

別れを言えない別れ

「おじいさんがお風呂で倒れている」という電話があり、慌てて駆けつけると、そこに(母方の)祖父が倒れていました。病院へ救急搬送されましたが死亡が確認されました。一人でお風呂に入れるような状態ですから、どこに疾患もなく元気そのものの祖父でした。

別れを言えない別れを生まれて初めて体験しました。

祖父とは、母が毎日様子を見に行っていたこともあり、最も交流があった孫のように思っていましたが、いざ葬儀となると、外孫の私は(当然のことかもしれませんが)その立場に応じた役割をもって葬儀に参加することになりました。

祖父との在りし日の思い出はたくさんあるのに、その時の葬儀のことを振り返ろうとしても、ほとんど思い出せないのが今でも不思議な気がします。

長生きするということ

母方の祖母は気丈な人で、クリーニング屋を立ち上げ、4人の子供達を育て上げました。子供達が大きくなってからは喫茶店を始め、後に小料理屋を開きました。夜はお針子仕事・刺し子を欠かさない働き者で、大変な苦労人でした。

そんな祖母ですが、90歳で人生初めての入院をした頃を境に認知症になりました。そんな折、同居していた三男が亡くなる不幸に遭遇します。認知症の状態でも息子の死は祖母にとって大きな衝撃でした。それから、認知症は急激に進行していきました。

長男か次男が付き添うことで、年末年始だけ長年住み慣れた家で過ごすことになりましたが、その時不運にも、お仏壇の蝋燭が引火して火事になり、家を全て消失してしまいました。

こんなに長生きをしていなければ、我が子に先立たれる悲しみに遭わず、家が火事で無くなるという苦しみも知らないで済んだのに。祖母は、長生きをして本当に幸せだったのでしょうか。そのことがいつまでも頭から離れなくなりました。

長生きをするということは、多くの幸せに恵まれると同時に、それと同じ分の多くの不幸を経験するものだということを祖母の人生から教わりました。

それぞれの生き方、別れ、お葬式

父方、母方の祖父母の人生は、私には計り知れないものがありますが、その晩年の生き様は人それぞれであり、私や家族との別れ際もまたそれぞれでした。

100人の人がいれば100通りの生き方があり、100通りの別れ方があることを身をもって知りました。お葬式は、それぞれの長い人生の集大成として、それぞれの生き様を締めくくる一回限りの機会であると考えると、その責任の重大さに身が引き締まる思いです。

これからも、それぞれの人生の最期を心を込めてお見送りさせていただこうと、あらためて心に誓いました。

主な葬儀司会歴
平成16年
曹洞宗(名古屋市西区) 御住職(尼僧) 寺葬
平成17年
某冠婚葬祭グループ 代表取締役会長様
密葬、本葬、一周忌法要
平成17年
衆議院議員 御母堂 葬儀
平成17年
真宗大谷派(名古屋市千種区) 前御住職 寺葬
平成17年
真宗大谷派(名古屋市千種区) 前御住職 寺葬
平成18年
真宗大谷派(名古屋市港区) 前坊守様 寺葬
平成18年
浄土真宗本願寺派(名古屋市昭和区) 前御住職 寺葬
平成18年
真宗大谷派(愛知県春日井市) 前御住職 寺葬
平成18年
愛知県議会議員 御尊父 葬儀
平成18年
某映画俳優 御母堂 葬儀
平成19年
某書道家様 葬儀
平成19年
名古屋市会議員様 葬儀
平成19年
名古屋市会議員 御母堂 葬儀
平成19年
真宗大谷派(名古屋市守山区) 前御住職 寺葬
平成19年
浄土宗(名古屋市熱田区) 御住職(尼僧) 寺葬
平成20年
真宗大谷派(愛知県旧立田村) 御住職 寺葬
平成20年
真宗大谷派(愛知県清須市) 前坊守様 寺葬
平成20年
真宗大谷派(名古屋市北区) 御住職(某大学長) 寺葬
平成20年
真宗大谷派(愛知県日進市) 前坊守様 寺葬
平成20年
真宗大谷派(名古屋市北区) 御住職 寺葬
平成21年
真宗大谷派(名古屋市瑞穂区) 前御住職 寺葬
平成21年
真宗大谷派(名古屋市港区) 前御住職 寺葬
平成21年
真宗大谷派(名古屋市瑞穂区) 前御住職 寺葬
平成21年
真宗高田派(名古屋市南区) 前坊守様 寺葬
平成21年
天台宗(愛知県春日井市) 前寺庭婦人様 寺葬
2024.12 現在
「寺葬」とは、寺族(御住職及びその御家族)のご葬儀を指します。
この他に社葬から家族葬まで、数多くのご葬儀をお手伝いさせていただきました。心から御礼を申し上げます。有難うございました。
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