名古屋市、愛知県で葬儀司会なら國松香代まで。寺葬、社葬、家族葬から無宗教葬まで

名古屋市、愛知県で葬儀司会なら國松香代まで。温かいトーンの声で優しい心のおもてなし

葬儀司会
迷いの回廊

平成15年、國松香代(くにまつ かよ)は専門職として、葬儀司会を始めます。
まだ女性司会が珍しい時代で、排他的な「女性司会者不要論」も存在し、周囲の風当たりが強かったことが記憶に残っています。
それから1年後、不思議なことに、その頃を境にして今までの環境が嘘のように誰も文句を付ける人がいなくなっていき、逆にそれが変に怖くて、より一層の勉強(精進)の必要性を感じていました。

当時は、時間さえあれば、高価な費用を払って各地の葬祭関連のセミナー、研修会に参加していました。

そこでは全国的な葬儀司会のレベルを知ることができたという意味で有意義でしたが、それ以上でもそれ以下でもなく、後から振り返ると、いつもどこかに物足りなさが残っていました。

その当時、司会に対するある種の先入観が業界を支配していました。

  • 女性司会者=お涙頂戴型の司会である
  • 派遣司会者=司会だけで葬儀の知識がない

実際にこういった司会者が(現在でも)多いのは事実です。しかし、國松は「自分はそれで終わりたくない」という思いを一貫して持っていました。

日々の葬儀の中で「癒し」とは何かをいつも考えていました。ミッションスクールで育ち、学生時代から宗教について学んでいたため、宗旨・宗派に拘らず「宗教」というものを大切にしたいと思う中で、増え続ける「無宗教葬」への流れをどうやって受け止めればいいのか悩んでいました。

しかし、何処に行っても、誰に会ってもその答えを見い出すことができません。
國松はいつも、堂々巡りの「迷い」の回廊を歩いていました。

晴れていく霧

平成16年春、ほとんど絶望的だった状況が一変します。答えを探し続けていた時、出会ったのがインターネットで発信されている「久世栄三郎の世界」でした。

久世氏は大阪高級葬儀株式会社の代表取締役、日本トータライフ協会理事長を務め、マスコミなどで「日本一の葬儀司会者」と称賛されてきた人物でした。

國松は、ホームページで毎日更新されているコラム「久世栄三郎の独り言」を読んで大きな衝撃を受けました。

そこには日常の出来事から発想される卓越した視点と先見性、奥の深い哲学、問題点の鋭い指摘、業界発展への情熱が綴られていました。

そして、これまで耳にしたことのない独特のナレーションを聞いた時...
どうしても拭えなかった心の霧が、嘘のように晴れていく気がしました。
國松は、長い間求めていたものにようやく巡り合えたのでした。

平成16年冬、久世氏が葬祭セミナーを開催することを知ってすぐに応募したのが本格的な出逢いとなりました。 悲嘆のプロセスを分析したり、知識の吸収だけに先走ってしまって「頭でっかち」になりかけていた國松は、葬儀に携わるものとして何が必要か、何が出来るかを改めて考えさせられることになりました。

葬儀は、勉強すれば勉強するほど奥が深い世界でした。

その翌年、久世氏の私塾「久世塾」が開講して、その第一期生として参加することになります。その時に、知的所有権を有する本物の「献灯の儀」を伝授してもらいました。その後、お許しを頂いてご遺族に「献灯の儀」を提供させていただいた過去があり、それは今でも國松の誇り、自信となっています。

空気の制御

葬儀式において重要なのは、その場を包む空気のコントロールです。
「悲しみ」、「嘆き」、「不安」、「緊張」、「焦り」、「疲労」など、それぞれの人の、それぞれの感情や心理が混沌と交錯する中で、儀式の流れを1つの方向に誘導するためには、その場に一種の聖域化した空気を作る必要があります。

「大切な人」の「大切な儀式」に「大切な宗教者」を迎えるにあたって、会場空間の聖域化が完成しているかどうか?
これが儀式の善し悪しを決めます。

多くの方から「いいお葬式だったね」、「故人も喜んでいるだろう」、「これで天国に行けたね」といったお言葉を頂戴できた時に、その葬儀式は成功したことになり、「良い葬儀式」ということになります。

裏を返せば、不満の声がいくつも聞かれるような場合は失敗したことになります。ご遺族の立場からすると、それなりの高額なお金を出して、やり直しのできない儀式を挙行する以上、成功してもらわないといけません。また、葬儀式を挙行する側としては成功させないと何の意味もないし、プロとして失格です。

だから、会場空間を包む空気のコントロールは、葬儀式の成功のために欠かせない大切な要素です。その大切なコントロールを、一身に委ねられている職業こそ「葬儀司会業」なのです。

劇場やコンサートホールなどで、通常、開演の5分前に鳴らすベルを「1ベル」、開演直前に鳴らすベルを「2ベル」と言います。

以心伝心のような無言の訴えが通用しない儀式空間において、この1ベル・2ベルの役割を果たすのが「音楽」や「照明」です。

葬儀司会のスペシャリストは、ナレーションの背景に、これらのツールを駆使して、儀式空間の空気を「誰もが心地よい世界へ」とコントロールしていきます。
このコントロールが出来てはじめて、一人前の葬儀司会者と言えるでしょう。

しかし、それだけではありませんでした。
國松は後に、より重要なキーワードを久世栄三郎氏から学ぶことになります。

究極のサービスを支えるもの

「人として生まれ、懸命に生き、与えられた時が尽きてこの世を旅立っていく…」

人の命は、蝋燭(ろうそく)の(ほおの)に例えられます。
が蝋を溶かし、蝋が尽きた時、も燃え尽きます。時として、雨風に当たって、蝋を残して燃え尽きる焔もあります。

頼りなくも美しく輝き、けなげに光を放ち、最期は惜しげもなく燃え尽きる。
その一度きりの運命の儚さゆえに、人は命を「かけがえのないもの」として尊び大切にします。

「かけがえのないもの」を失った時の悲しみにまさるものはありません。しかし、悲しみを癒すわずかな時間すら与えられずに時は無情に刻まれ、その流れの中で遺族となった人たちは引きずられていきます。

葬儀司会者がどんなに上手にナレーションをして、効果的に音楽や照明を使って空気をコントロールしたとしても、悲嘆に暮れ疲労困憊している人たちを、それだけで慰め、癒しきれるものではありません。

そこには、司会としてのテクニック、ノウハウといった技術的次元とは全く別の「心の在り方」という別の世界が関係してくるのです。

前述の久世栄三郎氏は、自らの経験の中でこのように述べておられます。

これまで全国から多くの司会者達がやって来て、それぞれの個性を活かすための指導を行ってきたが、「やさしさ」とは技術で解決できる問題ではなく、本質から自然に生じ滲み出る現象と教えてきた。
そこには「人の悲しみ」を理解しようと努力する姿勢が何より重要で、それに気付いた人達は成長に至った。

「人の悲しみ」を理解しようと努力する姿勢、それが一流の葬儀司会者に求められる資質、品格であることを教えておられます。

「かけがえのないもの」を失った人の気持ちを考えて、今その状況におかれているご遺族と共に、その気持ちを共有できるように自分なりに最大の努力することが「やさしさ」であり、その心がご遺族に届いた時、その仕事は「究極のサービス」と呼ばれるに相応しいものではないでしょうか。

究極のサービスを支えるのは「優れた技術」と「本質としてのやさしさ」であり、國松の求め続ける究極の姿でもあります。

葬儀のコンシェルジェサービス

マスコミなどでよく、「葬儀でチェックすべき○○項目のポイント」といったようなテーマが取り上げられることがあります。
確かに、ご遺族が葬儀でしなくてはならない事はたくさんあります。
かつては、親戚や地域の経験豊かな長老が音頭をとって手伝ってくれました。しかし、少子高齢化が進む中、身近に葬儀を手伝ってくれる人が少なくなってしまいました。

ご遺族には通常、葬儀社の担当者が付きます。その存在はご遺族にとって何よりの頼りとなりますが、担当者も葬儀社の一員として多くの業務を抱えており、ご遺族にずっと寄り添うことは難しいのが現状です。
その一方、ずっと側に寄り添っていただけるという有り難さの反面、「他の仕事もおありなのでは?」と申し訳ない気持ちが、かえって心的負担となったという事例もありました。

担当者にわざわざ相談するほどの事ではないが、ちょっと知りたいことがある。お金のことが絡むので担当者には聞きにくいけれど、誰か教えてほしい。女性の身なりや体調の問題なので、気軽に話せる女性スタッフはおられませんか。
國松は、葬儀司会者として開式の数時間前から式場で待機している中で、こういったご遺族の声に耳を傾けてきました。

これらの様々な要望にお応えする意味で、國松が今後実現したいと考えているのが「葬儀コンシェルジェ」という新しい分野のサービスです。

高級ホテルでは昔からありますが、宿泊客のあらゆる要望、案内に対応する「総合世話係」の職務を担う人が「コンシェルジェ」です。

國松がかつて身を置いた航空業界にも同じような職務を担う「コンシェルジェ」の存在がありますが、今は、鉄道やデパートなど様々なサービス業界で、ワンランク上のサービスを目指して「コンシェルジェ」という機能が生まれています。

21世紀の葬儀は、「個性化」、「多様化」というニーズに「無駄省き」が加わって、人数削減に始まり、「家族葬」、「直葬」の流行という結果になりましたが、そこに「グリーフ」(悲嘆を乗り越えようとする心の努力を支援すること)が置き去りにされてしまっているのではないかと思います。

葬儀には「社会的告知」、「物理的(ご遺体の)処理」、「悲嘆の処理」という役割がありますが、目に見えにくい「悲嘆の処理」は、ご遺族の傍に寄り添っていてはじめて分かることが多いのです。
「葬儀コンシェルジェ」の存在は、真に満足できる葬儀の実現に必ず役に立つものと確信しております。

「葬儀コンシェルジェ」についてご検討されたい方、詳細を知りたい方は、「お問い合わせフォーム」からお問い合わせください。

國松への葬儀司会のご用命、見積りのご依頼、その他ご相談は、「お問い合わせフォーム」からどうぞ。

名古屋市、愛知県で葬儀司会なら國松香代まで。大切な人の大切な儀式に大切な宗教者のお迎え

HOME       葬儀司会     プロフィール     推薦の言葉     お問い合わせ

名古屋市、愛知県で葬儀司会なら國松香代まで。不幸な時間を不幸でない時間に

名古屋市、愛知県で葬儀司会なら國松香代まで。豊富な知識と経験を持つMCのスペシャリスト

葬儀司会
after5sec.

名古屋市、愛知県で葬儀司会なら國松香代まで。太陽の時間と月の時間をお過ごしいただけるように